資格試験の勉強をするようになると、ライバルの存在が気になるようになります。仮に、明確なライバルが存在しないとしても、同じ資格を目指す人の進捗具合や様子が気になることがあるでしょう。
確かに、周りの進捗状況を確認しておくことは、大きな遅れを取らないためにも必要なことです。また、「気にするな」と言っても、人間の心理としてやはり周りの受験生の動きと言うものは気になる存在です。
ですから、「気にするな」とはなかなか強く言えないのも事実です。しかし、気にするのは仕方がないとしても、周りの受験生と自分を「比べる」ということを行う必要はありません。
例えば、点数を比べてみたり、勉強量を比べてみたり・・・。周りが気になるのは分かりますが、自分と比較したところでそれほど大きな意味はありません。
そもそも、受験勉強と言うのはそれなりに「属人的な要素が強い」ものです。つまり、勉強スタイルも異なれば、使っている教材も異なりますし、知識量やレベルもバラバラです。
それらを無視して単純に誰かと比較しても、何の意味もありません。つまり、比較対象や基準が明確にない状態の中では、比較すらまともにできる状態ではないのです。
仮に、特定の時点で点数による比較を行ったとしても、初学者と2年目の受験生ではテストなどの点数には大きなばらつきがあります。2年目の受験生の方が点数が高いのは当然なのです。しかし、その時点で点数が高い人が最終的に合格を勝ち取るということでもありません。
いずれは、初学者の方が2年目の受験生を大きく超えるということも普通にあるわけで、そうだとすると、あくまで一定時点での比較と言うのは単にその場での感情や精神の世界での比較と言うことになるのです。
極端な話、本当のライバルは周りの受験生ではなく、「自分自身」と言うことができます。資格試験の勉強は多くの場合、強制力はありません。自らの意思で勉強を始めることが多いことからも、様々な誘惑や困難に耐えながら勉強を続けると言うのは、本質的な敵は「自分の中にいる」わけです。
周りの受験生の動きが気になるのは分かります。しかし、過度にそれを意識し過ぎたり、過敏になるひつようはありません。誰でも自分のペースと言うものがあります。最初から飛ばすことができる人もいれば、後になって火がつく人もいます。
いずれの場合でも重要なのは一定時点の比較ではなく、最後まで続けることができるか、最後の時点で自分自身の力をしっかりと発揮することができるのか、ということが求められています。
人と比べるのではなく、「昨日の自分と比べる」、過去の自分と今の自分を比べることが重要なのです。