どうせ後悔するならやっておこう

例えば、何かをするべきかしないべきか、という判断をしなければいけないとします。

 

実際にこんなことはたくさんあるわけで、いつもどうしようか考えながら生活をしているというのが現状でしょう。

 

一般的にはやることの方が少し大変で、やらないことの方が楽なことが多いです。

 

Frustrated Woman at Computer With Stack of Paper 何をするにしても、行動に起こすということはそれなりに自分の身体や頭を使うことですから。

 

一方、やらないという選択肢は簡単です。頭の中で妄想して、結局はやらないわけですから、お金がかかることもなければ時間も必要としない。もちろん、その分、得られる者も何もないということになるのですが、行動に移さない以上は何も得られることがないというのは当然のことであって、別に難しく考える必要もない。

 

やった方が良いか、やらない方が良いかということで考えれば、何かをやらない限りは得るものはないということはOKでしょう。

 

では、少しアプローチを変えて、後悔という面ではどうでしょうか。

 

 

例えば、何か行動に起こすことによって、やはりやらなければ良かったと思うことも現実的にあります。

 

ならば、行動しなければ後悔しなかったはずですから、行動に起こさない方が良かったのでしょうか。

 

いや、そんなことはありませんね。

 

行動しないことによる後悔は、まさに一生あなたの頭の中に居座って、ことあるごとにあなたに後悔の念を呼び起こします。

 

例えば好きな人がいて、告白をする勇気がないとする。あるいは、自分の中でうやむやにしてしまう。

仮に、好きな人に告白をするという選択をした場合、玉砕して、「やはり告白しなければ良かった」と後悔するかもしれません。

 

一方、告白しなければ、その場で後悔することはありませんが、10日後、1年後、10年後に後悔する可能性があります。なぜでしょうか?それは、その時に行動しなかったという事実は一生にわたって消えることはなく、そして、二度と実現できない可能性を常に夢として脳内に設置してしまうからです。

 

1年前に告白すれば良かったと思っても、もうその瞬間は二度とありません。今になって告白しても、その時と状況は変わっているのですから、チャンスはその時に行動に起こすかどうか。

 

それが結果的に玉砕という事態を引き起こしても、我々は忘れることもできれば、そこから何かを学ぶこともできます。

 

つまり、過去のことについて後悔するということは成長なのです。でも、行動しなかった後悔というのは、何も産み出さない。いや、自責の念を産み出すことはあるかも知れませんが、良いことではありません。

 

何かをやろうと思った時、それがなんでなのか分からないとしても、そこにはチャンスがあるということはもう一度強く意識しておきたいところです。

 

人生は一度だけ、そして、何かをやることができるタイミングも人生に一度だけというものが毎日溢れているのです。

 

道路で足を踏んでしまった人に謝るのも、その時しかタイミングはないということです。その瞬間をどう生かすのか、それが自分の人生を作って行くことになるわけです。

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