勉強は自己成長、真剣度はある?体験はある?

我々はさまざまなものに好奇心や興味があって、意識しているか無意識かは別としても勉強しているものです。

次のようなものであっても立派な勉強であるといえます。

  • 仕事に励んでいる
  • 異性に好かれるために自分を磨いている
  • 趣味に浸かっている
  • パソコンでネットサーフィンをしている

自分の知的好奇心を満たすようなものであっても、無駄なものなどありません。全ては、自分自身への成長へとつながっているのです。

自己成長とスキル
自己成長とスキル

学ぶというのは「成長」をあらわすということです。そして、学ぶというのは何も机に座っていることだけではありません。教材など使わなくても、我々はさまざまなものを学んでいるのです。

そう考えれば、資格受験というのも「異性に好かれるための方法の一つ」であったり、「趣味に浸かっている」のと何ら変わりはありません。

しかし、なぜか「いかにも勉強」的な雰囲気がやる気を阻止してしまう傾向にあります。

資格を持って輝いている女性は男性からすれば非常に魅力的です。そして、資格を取ることは「努力すれば必ず可能」であり、ある意味で実現することは容易いことです。

なぜならば、他の異性に好かれる方法と言うのは必ずしも自分だけの力でどうにかなるとは限らず、確実性が高いとは必ずしも言えません。(もちろん、資格を持っていれば異性に好かれるかどうかも決定打はありませんが、ここではあったほうが良いという前提を置いておきます。)

資格試験の勉強を、論理や感情で割り切るのはそれほど簡単なことではありません。このブログでも精神論的な話はたくさんしてきましたし、今後もしていくことになると思います。

しかし、実際にはどんなに頭で分かっていても、理屈は十分に理解していても、それでも勉強を続けるのは並大抵のことではありません。

そのことは、誰よりも私が一番よく分かっています。

でも、だからこそ「続けてみる」ことに価値があるのです。

つまり、理屈では分かっていても続けることができないとしたら、その原因は2つしかありません。

1つは、「合格に真剣ではない」ということです。厳しいようにも思えますが、理屈で勉強をしなければ合格することができないと分かっていても勉強をする気にならないとしたら、それはスランプを除いて試験ではないという証拠です。

つまり、ダメでも良いとどこかで思っているか、甘えがあるかのどちらかでしょう。

もう1つは、理屈で分かっているが「経験がない、あるいは経験と関連させられない」ため、腑に落ちていないということです。要するに、行動に起こせないようであれば分かっていないという原理です。

勉強とは「技術」ですから、頭の善し悪しはさほど問題ではありません。つまり、続けていれば必ず合格することができる。そういった経験があれば、続けることに対してそれが当然と言うことになる。

しかし、そういった経験がない場合には、続けることの重要性がなかなか理解することができないかも知れません。しかし、必ずしも資格の勉強経験や合格体験がなくても、何かを続けることでようやくできるようになったという経験は誰でも持っているものです。

どんなにがんばってもできなかった鉄棒の逆上がりが、何かの拍子にできるようになる。そして、1回できてしまえば、それ以降はいとも簡単に自力で行うことができる。

仕事にしても、あれだけ時間が掛かっていたことが、続けることで何にも考えずに処理することができるようになる。スピードも歴然と早くなっている。

上記のような経験はあなたも持っているはずです。

つまり、勉強と言うのは「作業」であって、作業は続けることでよりスピードが上がり、そして高度化する。ただそれだけの話です。

あなたの今までの経験を振り返って、似たような事例を探してみてください。きっと、同じような経験があるはずです。

それと同じように資格の勉強も捉えると、合格はさほど難しいことではないと思えるはずです。「続けることさえできれば」という条件はありますが。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です