勉強はすればするほど良い。
と言うのは、もちろん正しいのですが、一方でやり過ぎにも注意が必要となることも事実です。
「そりゃあ、矛盾しているのではないか」と言われそうですが、現実的にはやり過ぎまで行く受験生はほとんどいないのでそれほど問題にはなってこないのです。
しかし、毎日のように勉強に取り組んでいるようであれば、オーバースタディーになっていないかどうかをチェックすることも必要になることもあります。
目指す資格試験の本試験が迫ってきているのに、以前よりもなぜかやる気が薄れてきた。
もう少しで決めた問題量をこなすことができるのに、なぜかやる気にならない。
以上のようなケースが生じているとしたら、注意が必要です。
今はそういったことがないとしても、いずれあなたも経験刷るかも知れません。例えば、あなたもこんな経験をしたことありませんか?
「がんばってきた仕事がもう少しで終わるのに、最後の少しがなぜか捗らない」
なぜこんなことが起きるのか?
それにはいろいろな理由があり、必ずしも一概には言えないのですが、「やり尽きた」というケースが少なくありません。特に、主婦やOLなどの女性に多く見受けられます。
つまり、人間と言うものはある程度先が見えないとがんばることができない。だから、目標を立てることが重要になるのです。目標がなければどこまでに何をすれば良いのか分からない、それを明確にするすることで、自分のやるべきことが期間と量の観点から明らかにすることができる。
一方で、「目標が明らかに小さい」場合には、なかなかやる気にならないのも事実です。
例えば、目標を組んだ時に、3ヶ月程度の勉強時間が必要だと分かった。今からだと2ヶ月しかないから、これは1ヶ月を短縮するつもりで相当がんばらないといけない。だから、燃えるようなやる気になったりします。
逆に、2ヶ月程度の勉強期間が必要だと分かった場合、今からはまだ本試験日まで3ヶ月程度ある。この時に、「まだまだ余裕だな~」となかなか重い腰を上げることはできないことが多い。
つまり、目標がなければ不安であるものの、目標となるものが自分の許容範囲に収まっていることが自分で明確に分かった場合には、人間と言うのはなかなか走ることができなくなる。
一見すると、矛盾するようですが、これが事実です。
だから、人間にとって一番がんばることができる状態というのは、「少しがんばればできそう」な状態であったり、目標なのです。
部下に仕事を教えようと思ったら、簡単でも難しくもない、「少し負荷をかければこなすことができる仕事」を与えることが重要になります。
いわゆる勉強のやり過ぎというのは、自分の中で「目標を小さく評価してしまうこと」につながってしまうということです。
つまり、標準勉強時間が1000時間だとすると、自分が1000時間勉強した段階で、ある程度の目標達成感を味わってしまう。初めのころは1000時間なんてとてもできそうもないという状況だったのに、それが現実的に実現できてしまうと、ある程度の満足感を味わってしまう。
つまり、無意識の中で「余裕が生まれる」。
無意識というのがポイントです。
勉強のやり過ぎによる虚無感というのは、自分の意識化に置かれたものではありません。自分では「やらなきゃ、やらなきゃ」と思っているのです。
もう少しでようやく長い時間掛けた仕事が終わるのに、今すぐ終わらせてしまえばすぐにゆっくりと休むことが出来るのに、「なぜかできない」。結果的に、ダラダラしてしまう。
これらは、無意識的になされることなのです。
ですから、あなたも満足感を得るのは好ましくありません。その意味で、標準学習時間や、問題集は何回繰り返せば良い、などという基準は作らないことです。
上には上がいます。あなたよりも勉強をしている人は必ずいます。
勉強をし過ぎるのは問題ではありません。勉強を一定量することによって、満足してしまうのが問題なのです。
やらなければいけないのに、なぜか出来ない、捗らないというような場合には、あなたの無意識が邪魔をしている可能性があるのです。意識の中で、強制的に「今までのがんばれた自分」に戻すことが重要になります。