「分かった」より「できる」の方が大切
社会人が資格の勉強をする場合、やたらに「理由理屈」にこだわる人がいます。なぜそうなるのか、どうしてそうなのか?というように。
確かに、考え方をしっかりと押さえるということは大切なのですが、どんなにしっかりと考え方を押さえていても、できなければ意味がない。逆説的に考えれば、どうしてそうなるのかを知らなくても、できればとりあえず資格試験に合格することはできます。
好奇心旺盛な子供というのはどんなものでも触りたがる。乗っかりたくなる、いじりたくなる。
私の子供もそうですが、ゲームや携帯電話をとにかく触る触る。そして、よほど私よりも早く、そして上手く使いこなすことができるようになる。これには本当に大人が「唖然」としてしまいます。
私は説明書を読んで、じっくりと使い方を知った上でいじり始めますが、子供にはそんなものは必要ない。説明書なんて読まなくても、しっかりと使い方をマスターしている。もちろん、便利な機能は知らないかも知れないけれど、そんなことはお構いなし。なぜならば、しっかりと使いこなせているから。
考え方よりも先にやり方を覚えてしまう。なんとも子供らしいこと。
でも、実は資格試験もそれで良いのです。解くための考え方を知ることよりも、解き方の方法論を先に覚えてしまえば良い。分かっているかどうかよりも、できるかどうかの方が合格するためには重要なのです。
サッカーは上手くなってから練習すれば良い
サッカーの神様と言われるマラドーナ。「サッカーは上手くなってから練習すれば良い」という趣旨のことを言っていますが、的を射ているのかも知れません。
鉄棒の逆上がりの仕方(考え方)をどれだけ聞いても、理解しても、すぐに逆上がりができるようになるわけではない。
そんな逆上がりの方法論なんてどうでも良くて、とにかく落ちて転んで試行錯誤を繰り返す中で逆上がりができるようになる。その上で、逆上がりの効率的な方法や、逆上がりをするための方法を学んでもそれはそれで問題ない。
逆上がりの仕方など知らなくても逆上がりはできる。
資格試験の問題も同じこと。考え方を知らなくても、答えを見て解き方を知った上で解けば良いのです。何回か繰り返せば嫌でも解き方を覚えてしまう。その後に、なぜそうなるのかとという理由を考えても良いし、別に時間がなければ考える必要も極端なことをいえばありません。
なぜならば、問題を解くことができれば資格試験に合格することはできるのだから。
そして、合格してからまたじっくりと理由理屈や理論を勉強しても遅くはない。
マラドーナの教えに従うとすれば、資格試験は受かってから勉強しても別に良いのです。