体験や経験に勝る勉強情報なし

情報の価値とは?

 

インターネットの急速な普及は、さまざまな情報を無料で入手することができるようになりました。しかし、ここで一つ、情報というものの有用性について整理しておく必要があります。

 

それは、情報というのは知っていても何の意味もないということです。情報は使ってこそ初めて価値があるわけで、単に知っているということでは何も産み出しません。敢えて言うならば自己満足として役に立つということがいえるぐらいです。

 

写真で思い出すのは体験だけ 資格試験の勉強法というのもインターネット上には氾濫しています。それらをたくさん収集して、ほくそ笑んでいる女性も多いかも知れません。

 

そういった勉強法の情報が無料で入手することができる時代になったのは素晴らしいことですが、先にもあったように、情報を沢山持っているからといって「合格できる」とは限りません。

 

結局は、それらの情報を有効に活用して初めて意味があるわけであって、情報だけを持っていてもそういった情報に振り回されてかえって身動きが取れないという女性も多いのです。

 

一方、自分で導き出した情報は絶対的な強さを生み出します。

 

経験と体験は本質的な情報である

 

インターネットや人から聞いた情報というのは、実のところ「良い情報」か「悪い情報」かどうかは実際に使ってみるまで分かりません。

 

例えば、「これで短期合格!私が教える合格情報」というものがあったとします。ある意味魅力的な情報のような気がしますが、あくまでその情報というのはその人の固有の体験や経験の情報であって、必ずしもあなたに役立つとは限りません。

 

実際に使って試してみない限り、あなたにとって有用な情報かどうかは分からないのです。

 

しかし、すでにあなたの中には有用な情報が存在しています。それは、あなたの経験や体験に基づく情報です。結局のところ、人間というのは自分で体験したこと、経験したことの蓄積によって今があります。その経験や体験から導き出される「情報」というものは、もっと強く、そして有用性の高い情報であるといえるのです。

 

例えば昔の写真を眺めてみると、その時の光景があたかもつい最近のように思い描ける。そのぐらい、人間にとって体験や経験というものは自分にとって大きな存在であるということがいえます。

 

その意味で、私たちには今までの受験勉強などから得た経験や体験に基づく「情報」がたくさん詰まっています。いや、忘れているかも知れませんが、そういったことを思い出す作業をしてみると、意外にも「そういえばこうだった」というようなことがたくさんあるのです。

 

世の中に存在する勉強法というのは、極端なことを言えば「基本的なこと」を「徹底的」に「繰り返して」から「覚えましょう」というのが根底にあります。

 

それを実現するための工夫がいろいろと紹介されている。それが現実です。

 

そうだとすれば、それらは既にいろいろなところであなたが経験や体験していることに過ぎません。ならば、自分の過去を振り返ってみれば、そういった思い出を振り返ることができますし、そこから勉強のヒントを思い出すことができるはずなのです。

 

そこにあなたオンリーの勉強法があるかもしれません。

 

情報を集めるのも良いですが、自分の中に眠った情報を掘り起こすということも大きな意味があるものです。

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