過度な期待と自己成長のバランス

資格の勉強はいろいろな効果(成果)をもたらします。それらは、遅かれ早かれ自分の成長であることに気付くときが来るものです。

つまり、資格試験の勉強を通じて「自己成長」を実現することができる。これは、合格したとしても合格できなかったとしても、同様の効果を得ることができます。合格することができれば次のステージが用意され、仮に不合格に至ってもそこにはまた何らかの自己成長を促すステージが現れる。

合格・不合格という事実をいかに「解釈」するのかで大きく変わってくるということです。

過度な拘束と適度な緊張

過度な期待と適度な緊張

ただし、その前提として「自ら進んで」勉強を開始するということが重要になることは言うまでもありません。

自分の意志で踏み出した努力は、合格・不合格いずれの場合であっても大きな成長をもたらしてくれる。

解釈を柔軟に行なうためには、「自分の意志」というものが非常に重要であるということがわかります。誰に強制されるわけでもなく、自ら進んで始めたことであるから、よりプラスに解釈を行なうことができる。

これとは別に、過度な期待がかかりすぎると、勉強そのものに対する意味や価値を咀嚼できないということになってしまう可能性を秘めています。

こんなニュースがあります。

そろばん段位取得へ母が過度の期待 長女監禁死

義務教育を前提に考えれば、親としての気持ちも理解できます。特に、障害を抱える子に対する今後のことを想う親の気持ちがあったかもしれません。

一定のレベルまでは強制力や拘束を行なうこともあり得ます。そうでないと、子どもは勉強しませんから。しかし、過度な期待をかけてしまうと、見えないストレスが溜まっていく。

子の将来を案じるばかりに逆の結果を産んでしまった。

これは子どもに限った話ではありません。大人であっても同じこと。

資格の勉強は、自分が成長をし、自分と自分の周りの人が幸せになるための「道具」でしかありません。そして、仮に不合格になっても、その事実をどのように「解釈」するのかによって、活かすも殺すも全てが決まります。

合格・不合格という事実や結果そのものに意味があるのではなく、その事実や結果をどう受け止めるのか。

これから試験が終わって合否発表が行なわれてきますが、どうか自分を追い込みすぎないように。結果は単なる結果であって、それ自体にはさほど意味はないのですから。

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