カツ丼・キットカットのげんかつぎと合格祈願

資格試験も本試験が近づいてくれば受験者としては精神的にそわそわした気分になるものです。不安と期待の入り混じった状態とでも言ったほうが方がよいでしょう。この辺の詳細な感覚は経験者のみぞ知るということです。

いずれにしても、合格に真剣であればあるほど、精神的に何かにすがりたくなるというのが現状です。これはこれで何ら間違っているわけではなく、自分の精神的弱さを嘆く必要もない。どんなに試験に強い人であっても、試験が近づけば緊張するものです。

祈ることで何か大事なことを思い出すことができる
祈ることで何か大事なことを思い出すことができる

もっといえば、試験に強い人というのは基本的には存在しないわけで、結果的に「合格した人」が試験に強い人になるのです。

そのため、結果的に試験に強い主婦や女性というのは、合格できるかどうかという不安を打ち消すためにひたすら勉強をする。だから、結果的に試験に合格することができ、強さを手に入れることができるのです。

試験に合格することができるかどうかは、究極的には自分が今までどれほどの勉強をしてきたのか、という「勉強の量」に依存します。

しかし、一方で、精神的なレベルも何らかの意味で要求されているということができます。しっかりと勉強した主婦・OLであれば、それなりに「やれることはやった」という自信を持って試験に臨むことができるでしょう。

ただ、そうであっても真剣であればあるほど、勉強すればするほど不安になる、自信を失いかけるというのは良くある話。

そういった弱まりつつ自信を取り戻すために、カツ丼やキットカットなどの「げんかつぎ」は意味があると思うのです。

人間とはそもそもそれほど強いものではありません。普段はいつも不安でいっぱいな生き物なのです。

そういった状況にあって、カツ丼やキットカットなどによりげんをかついだり、時には神社・仏閣などにお参りをしてみる。そういった精神的な拠り所を求めるというのは、一種の神道的な根付きがあるからでしょう。

悪いことがあると、人は神や仏の存在を否定するものです。でも、げんかつぎはある意味で神様や不思議な力の存在を自分が認めていることとイコールだともいえる。

事実、私たちが生きているうえでは、自分では論理を持って説明できないさまざまな体験や経験をしていることは、誰でも認めざるをえません。であれば、資格試験というものも少し違って捉えてみれば、それは非常に自分自身にとって意味や価値のあるものだと考えることもできるはずです。

資格試験に合格することはあなたに今必要とされている使命です。自分の人生に与えられる全てのことは必ず何かの意味があるはずなのです。

あなたにとって資格取得が無意味であれば、そういったチャンスを与えられることもなかったでしょう。

だとしたら、今あなたが乗り越えなければならないことは、その資格をきっちりと取得することです。必ずしもそれがどのように自分にとって役に立つのかを深く考える必要はありません。

あなたにとって必要なことだから与えられた使命です。たとえそこから逃げたとしても、同じような課題があなたに巡ってくることは明らかです。

だから、あなたには目指している資格試験に是非合格して欲しいと願っています。そのために必要なことであれば、カツ丼を食べることも、キットカットに思いを乗せることも、神社・仏閣にお参りすることも、全ては大切なことだと思うのです。

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